彼女の硝子細工



キャラ表

(性別表記の無いキャラクターは、性別不問)

トモエ(♀)
ツバサ(♂)


以上2名


*備考*

劇中で登場するピアノ曲について、それぞれイメージする楽曲を記載します。雰囲気作りの参考になればと思います。

【BGM1*最初に流れる曲】
ジムノペディ 第1番  (E・サティ)

【BGM2*彼女が答えを求めて急かす短い曲】
トロイメライ (R・シューマン)

【BGM3*気に入ったかしらと自信満々に言う曲】
春の歌 (F・メンデルスゾーン)

【BGM4*ツバサがやめろと叫ぶ、寂しい曲】
月の光  (C・ドビュッシー)


--------------------以下本文


【状況*古い病棟の1階、集会用ホール 誰も居ないそこでピアノを弾いている少女と、それを聞いている青年】
【BGM1*ピアノのメロディ】

ツバサ(独白)「――静かなホールに、彼女が弾くピアノの音色が響いている。…心地いい」
ツバサ(独白)「それを聴いているのは、僕1人。…旧病棟だから、誰もいるはずがない。…ここは、僕たちだけの場所だ」

【BGM1*曲が終わる】

ツバサ「――昨日の曲より、今日の方が好きだったなぁ」
トモエ「(静かに目を伏せ)あら、貴方の好みはこちらだったのね。…3週間経つけれど、未だによく分からない部分が多いです」
ツバサ「3週間といっても、君がこうやって時間を持て余してピアノを弾いてくれるのは、1週間に1度だから、まだ…3回、じゃないか」
トモエ「それでも、言葉で語れない部分でたくさん会話をしたつもりです」
ツバサ「うん、確かに君のピアノは、何かを語りかけてくるようだと思う。…検査が終わるまで、あと何分?」
トモエ「そうね、あと20分、てところかしら…。…お医者様って、検査が好きね。…面会時間、10分もあるかわからないわ」
ツバサ「そうだね、確かに医者はみんな検査が好きなのだと思う」
トモエ「貴方もよくされるのかしら」
ツバサ「いつも。暇さえあれば」
トモエ「そういえば貴方だって…病気だから此処にいるのですものね」
ツバサ「週に一度の家族への面会、ではないかな」
トモエ「それは私だもの。…ねぇ、そろそろ、何故入院しているか聞いてもよろしいの?」
ツバサ「…その前に一曲、何か静かな曲を聴けたら、…僕も話す準備が整うよ、きっと」
トモエ「…変な事を言う人ですね」

【BGM2*BGM始まる】

ツバサ(独白)「そういいながら、彼女は当たり前のように曲の最初の一音を指先で弾いた。心なしか、いつもより演奏時間の短い曲を選んだのは――早く僕の病状を知りたい、という彼女の気持ちの表れだったのだろうか…」

【BGM2*ぽん、と弾き終わる】

トモエ「さあ、聞かせて頂ける?」
ツバサ「いいよ。…僕はね、所謂記憶喪失なんだ」
トモエ「…そう」
ツバサ「…大して驚かないんだね」
トモエ「貴方、硝子みたいだもの。…すごく綺麗で透明だけれど、空っぽだわ」
ツバサ「言いえて妙、という感じ」
トモエ「私は、言いえていると思います」
ツバサ「…空っぽ…ううん、そう、確かに言いえている、かもしれない。…僕は…」
トモエ「…もう時間ね(立ち上がって)それじゃあ私は行くわ。さようなら」
ツバサ「あ、ああ、さようなら」

【SE*去っていく足音】

ツバサ(独白)「不思議な女の人…。…身のこなしとか、姿勢とか、言葉遣いとか…多分、どこかのご令嬢なんだろうけど、本人は外国との貿易を仕事にしている、っていつか言っていた。外見は女学生に見えるのに、仕事をしていて…そして、忙しいはずなのに、家族のお見舞いの為に豆に病院へ来ている…。…本当に、不思議な人だった」

ツバサ「(ふと譜面台に気づき)…あっ、…ま、待って!」
【SE*走る足音】
ツバサ「楽譜…忘れて…これ…」
トモエ「まぁ…ありがとう」
ツバサ「よかった、渡せて…。あれ?でも、楽譜…開いていなかったよね」
トモエ「ええ。なんだか目新しい曲を聴かせたくなったの。結局気分が乗らなかったけれど」
ツバサ「…聴かせたく? …それって、…あの…僕に?」
トモエ「貴方以外に誰も居ないわ(さらりと」
ツバサ「あ…ど、どうも、ありがとう。…あ、その楽譜の押し花、すごく綺麗だね。その…ほら、栞」
トモエ「嬉しいわ。…私が作ったの」
ツバサ「えっ、本当に?」
トモエ「ええ。…そんなに驚かなくても、簡単な事だから。…この間作った分がまだあったと思うから…少し待って頂戴……ああ、あったわ。…どうぞ」
ツバサ「いい、の?」
トモエ「構わないからあげるのよ」
ツバサ「…あ、ありがとう。…ねぇ、僕たち出会って3週間経つだろう?」
トモエ「そうですね、私の退屈しのぎのピアノを貴方がその扉の角でもじもじしながら聴いているのを見つけてから、3週間ですね」
ツバサ「とても話しかけられない雰囲気だったんだよ。 (遠慮がちに)…でも、僕まだ…君の名前を知らないんだ」
トモエ「(少し驚いた表情で)まだ、名乗ってなかったのね」
ツバサ「うん」
トモエ「そう。…私は高山 巴(たかやま ともえ) …貴方は? 記憶喪失と言っていたけれど、名前は覚えているの?」
ツバサ「名前…は、覚えていないけれど、書類上分かってはいるよ」
トモエ「どんな名前?」
ツバサ「ツバサ。宮野 ツバサ。こうして自分の名前を名乗っていても、あくまで名前らしきもの、って感じだけれど」
トモエ「そう。宮野 ツバサ。覚えたわ。…それじゃ、また。さようなら」
ツバサ「あ、うん、さようなら…また、来週」

【SE*歩いて遠ざかる足音】

ツバサ(独白)「彼女が鞄から取り出して僕にくれた赤い押し花の栞は、丁寧で細かく作られているのに、構図は驚くほど大胆で、まるで彼女の印象の全てを、物語っているようだった」

【BGM3*ピアノ曲フェードイン】

ツバサ(独白)「そしてその次の週も、彼女はやってきてピアノを弾いていた。僕は彼女を待ち伏せはしなかった。彼女のピアノの音色に誘われてやってきたのだ、という顔を崩さないようにしていた」

トモエ「(弾きながら)どうかしら、この曲気に入ったでしょう?」
ツバサ「気に入ったのは気に入ったけど、君は何故そうも自信満々で物を言えるのかな」
トモエ「自分に自信がない人間は、死んでいるのと同じだからです」
【BGM3*曲が終わる】
トモエ「そうは思わなくて?」
ツバサ「どうだろうなぁ。…僕は過去の事を何も覚えていないから――むしろ医者によれば、記憶は留学中の熱病とその後遺症で完全に破壊されてしまったそうだから、この先何も思い出さないだろうけれど…。…今僕に過去があったなら、きっと君に生い立ちを語っていただろうな」
トモエ「生い立ちを語ったところに、何か意味があるとは到底思えません。…人は未来へ生きているんですもの。過去は通過した時点で、塵ですわ」
ツバサ「…じゃあ、君の生い立ちを僕が知りたいと言っても?」
トモエ「無駄です。…それに私、来週からもう此処へ来ませんもの」
ツバサ「えっ?」
トモエ「家族の治療が終わりましたから、私はもうこの病院へ面会に来ない。だからもう、検査待ちの間の退屈を紛らわせることもない。…そういうことです」
ツバサ「そんな…いや、そうか…ああ…(自分を納得させようと必死な様子で」
トモエ「(つ、と目を伏せ)…もう一曲だけ、弾きましょうか」

【BGM4*ピアノ曲が流れ始める】

ツバサ(独白)「彼女が弾く曲は、今まで弾いてきたどれよりも、悲しくて切なくて、心を裂かれるような、底の分からない空洞に落とされるような、絶望に満ちた曲で――」

ツバサ「その曲、寂しいな。…ごめん、やめてくれないか」
トモエ「…」
ツバサ「お願いだ、もう弾かないで、そんな曲…」
トモエ「…何故?(静かに)」
ツバサ「やめて、お願いだから…」
トモエ「(目を閉じて)…そう? でも――」
ツバサ「やめてくれ! やめろ!(怒鳴る」

【BGM4*ぴたりと止まる】

トモエ「…何故、この曲は嫌なの?」
ツバサ「寂しい気分になるから」
トモエ「それだけ?」
ツバサ「違う、それだけじゃないんだ。…僕は、…僕は――」

ツバサ「まるで、全てにおいていかれるような気分がするんだ。時間に取り残されて、僕だけが他の人と違う世界を生きている気がする。僕だけが違う生き物みたいなんだ。僕はこれからどうしたらいいのか分からない。どうすればいいのか、分からないんだ。僕がどうすればいいのか、僕はどうしたかったのか…僕は…僕…は…」
トモエ「(静かに)…そうやって涙を流せるのだから、いいじゃない。…貴方には感情があるのだから、完全に空っぽではないと分かるわ」
ツバサ「(手の甲で涙を拭って)父と母から、連絡がないんだ。…両親には、それぞれ新しい家族がいるんだ。それも、何年も前から。…僕は本当に…孤独なんだ。…過去の自分すら亡くしてしまって、僕と関わりのある人は、居なくなってしまった。…僕は誰も…誰とも関わりがないんだ」
トモエ「…そう」
ツバサ「時々このまま…この旧病棟で、誰にも知られない存在のまま、何も感じずに消えていけたら、どれだけ楽だろう、と考えるんだ…。…空気になって、溶けて消えて…」
トモエ「…それもいいかもしれないですね。…私も憧れるわ」
ツバサ「とはいっても、そう簡単にはなれそうもないけれど」
トモエ「ええ…そうでしょうね。きっと世の中の誰もが…痛みも無く苦しみも無く、空気になって好きな場所に溶け込めるとしたら…誰もがそれを望むと思うわ。…消えて無くなりたくなる瞬間なんて、どこにでも落ちているものだもの…」
ツバサ「君も、溶けて消えたいの?」
トモエ「…消したい人が居たわ」
ツバサ「誰?」
トモエ「兄。…そして、その兄と繋がっている私の中の血。…汚らわしくて、恥でしかないから」
ツバサ「お兄さんが嫌いなの?」
トモエ「嫌い、とかではなくて、兄とは…。…いえ、…こんな事は話したくないわ。…それに、兄は何年も前に死んだもの」
ツバサ「空気になれた?」
トモエ「いいえ、病気に苦しみ、衰弱して…枯れ枝のようになって萎んで(しぼんで)死んだわ。…でも私、それでいいと思っているの。…空気のようになって透明になって死ねるなんて、そんなの善人で綺麗な人にだけ許されることだと思うから」
ツバサ「…綺麗な人…」
トモエ「そう。…でも、貴方は空気として消えることに憧れなくても、もう消えていると思うわ」
ツバサ「僕が、消えてる? 何処が?」
トモエ「過去の貴方よ」
ツバサ「え…」
トモエ「過去の貴方は、貴方から忘れ去られて、誰からも看取られず、消えた。そう考えられると思わなくて? …だから、貴方は新しい貴方。…もう1度生まれ出た、別の貴方。大人の思考を持ってもう一度人生をやり直せるだなんて…(本心から)…羨ましい限りです」
ツバサ「…羨ましいかな(窺うように」
トモエ「私は、兄の居ない人生をもう1度始められるとしたら、とても喜ぶわ。…過去は塵ですもの。…貴方の状況は悲惨だけれど、それをうらやむ人もきっと居るわ。それに、過去がもう絶対に戻らないと分かっているのだったら…。…いっそ全て終わらせて、新しく始めやすいと思うもの」
ツバサ「…新しく…?」
トモエ「…そう。…だから、貴方がもし、ここに留まるというのなら止めないわ。…でも、もし私と一緒に来るのだとしたら…その時は、うちで飯炊き係としてこき使って差し上げます」
ツバサ「…え…それって…」
トモエ「…それっても何もありませんよ、ツバサさん。…私と一緒に、此処を出ますか? と聞いているのです」
ツバサ「…貴方と…」
トモエ「そう、私と。…この旧病棟で空気になって溶けるより、…きっと有意義ですわ」
ツバサ「…僕は…」

ツバサ(独白)「差し出された手が目の前にある。いつも遠くから見ていた、ピアノを弾く綺麗な手」

ツバサ「…もし、僕が使い物にならなかったら?」
トモエ「その時は、高い硝子細工を買ったものと思って割り切ります(きっぱりと」
ツバサ「…はは、貴方らしい(くすっと笑って」

トモエ「…で、どうするのですか?」

ツバサ(独白)「…僕は、彼女の手に、自分の手を重ねた」

トモエ「そう。…では、行きましょうか」
ツバサ「…はい(微笑んで」

ツバサ(独白)「旧病棟の扉が静かに閉まる。…僕は彼女と共に、外へ出た」





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