遠くの彼女



キャラ表

(性別表記の無いキャラクターは、性別不問)





看護師A

看護師B

店員




--------------------以下本文

男「ねぇ、あの日の事、覚えてる?」
女「さぁ、なんのことだか」
男「…ふふ、君と一緒に居ると、幸せだなぁ(のびのびと」
女「そんな事が幸せなんて、…哀れだと思うわ」
男「そうかなぁ。…僕にとっては、君が1番大事なんだ、大事な宝物なんだよ」
女「…何を言ってるのか、わからないわ」

 (SE:お茶をいれる音)

男「君は本当に、淡々としているよね。…君ほど淡白な人間は、中々見かけない」
女「…そうなの」
男「君からは、まるで人間の温かみってものを感じないんだ。…なんというか、躊躇いがないよね」
女「…どうかしら」
男「例えば、こうだ。人間は常に、人に指摘されたくない部分を抱えている。まるで、乾きかけのかさぶたのようにね。人に触られて汚されたり、或はつっつかれて痛い思いをしたりなんて、そんなのはごめんだろう」
女「そう思う人間も、居るかもしれないわね」
男「だから、人は他の人間のそういう痛みを、指摘したりつっついたりしない。同じ痛みを知っているからね。でも、君は違う。他人が痛がりそうな場所を知ったら、すぐに突っつき、いたぶるだろう」
女「…どうかしらね」
男「(お茶を飲み、ふぅと息を吐く)…まるで、人間の感情が無い。人が知っているであろう、相手の痛みをいたわる、って行動を起こしたことがない。まぁ、今に始まったことじゃないよね、君は昔からそうだ。…って、そういう風に見えるけれど?」
女「…そういうことって、全部、どうでもいいことだわ」
男「ああ、ほら、今の言い方が、そうなんだよ」
女「…そうなの。…貴方が思いたいのなら、そう思えばいいんじゃないかしら」
男「まるで、人間に興味がない、と、そう見えるね」
女「貴方にだって、何の興味もないわ」

(SE:コップにお茶を入れる音)
男「じゃあ、君が興味あるものってなんなんだい」
女「さあ」
男「僕に分かることかな」
女「どうかしら」
男「僕の知っていることかな」
女「貴方が知っていたって、それでどうということはないわ」
男「君は何に興味があるんだい」
女「何もないわ。考えたことが、ないもの」

(SE:電子音)
(SE・BGM:クラシックが流れる)

男「僕は、この曲が好き」
女「あら、そう」
男「君は?」
女「興味ないわ」
男「昨日はドビュッシーをかけた。君は興味ないと言ったし、その前はモーツアルト、その前の週は、クラシックじゃなくてジャズだった。でも、君はいらないと言った」
女「そんなもの、無くたっていいわ」
男「でも、僕はあったほうがいいんだ。音楽がないと、だめなんだ」
女「価値なんてないもの」
男「じゃあ、何に価値があるんだろう」
女「どんなものだって、価値なんてないわ」

男「(お茶を飲み、チョコレートを食べる)僕は、緑茶にチョコレートが好きなんだ。変わってるって、よく言われる」
女「あ、そう」
男「それに、この黒猫のマグカップも好きさ。前にも言ったけど、この黒猫のイラストを描いたデザイナーさんっていうのは、僕が昔から尊敬している人なんだ。……で、君はどう思う? 緑茶にチョコレート。…美味しいよ?(微笑む」
女「私の答えを聞いて、貴方何がしたいの」
男「僕がどう思われているか、僕は君がとても好きだから、とても気になるんだ。どう、思われているかな」
女「何、とも思っていないわ」
男「でも、僕は好きなんだよ」
女「どうだっていいわ」
男「どうでもいい、ってことは、僕が今君に近寄っても、君は文句を言わないんだね」
女「貴方のすることに、いちいち興味や考えを惹かれたりしないわ」
男「じゃあ、少しだけ…」

(SE:床を移動する音)
男「君の傍に居るってだけで、少し幸せなんだ」
女「そう」
男「君は?」
女「さっきから何度も言っているけれど、特に何も思わないわ」
男「それは、少し残念かもしれない…。…お茶はどう?」
女「いらないわ。飲みたくないの」
男「そうだね、そうだよね、飲めないよね」

男「あれから何日が、経ったんだっけ」
女「覚えていないわ」
男「僕の中では、まだ1日も経っていないんだ。…でも、確かあの日は寒い日だった。でも、今は暑いじゃないか」
女「そうなの」
男「…そう、特に、君と過ごすようになってから、僕はカレンダーをめくるのをやめたんだ。…カレンダーによると、今は3月だよ」
女「でも、とても暑いわ」
男「僕もそう思う。…それに、さっきテレビの天気予報でやってた、今は7月の28日だって」
女「そうなの」
男「暑くなったら、君はどうなってしまうんだろう。やっぱり、ここに居てくれるよね」
(SE:壁をこつこつと叩く音)
女「どうかしら」
男「僕は、ここに居てほしいな。…君の近くに居るだけで、幸せな気分になれるんだ」
女「どうだっていいわ」

男「あの日の事を覚えてる?」
女「どうだっていい事だから、考えないわ」
男「僕はね、よく覚えているよ。…僕が、僕の好きなデザイナーの描いたイラストの模写をしていたときのことだ」
女「そうだったかしら」
男「うん、そうだよ。…君が言ったんだ。『あなたは、まだそんな事を続けるのね』、ってそう言ったんだ。そして、『貴方が思っている事は全て思い込みなのよ』、って言った」
女「そうね」
男「次の瞬間の事は、覚えてる。この灰皿で…」
(SE:灰皿を動かす音)
男「君を、力一杯殴った。何度も、何度も、何度だって」
女「そうね」
男「殴っている間はね、まるで天国みたいだった。僕が思ってたことも、悩んでたことも、全部すっきり頭の真ん中から上へ昇っていくみたいに、抜けていった。白い世界が見えたし、その後は高くて遠いところを漂っているような気持ちになれた」
女「そうだったの」
男「そうだよ。その後は、ちゃんと灰皿を綺麗にして、雑巾で掃除だってした。…それで君を見ると、君の胸は規則的に動いてた。まだ、動いてた。…触ると、暖かかった」
女「そうね」
男「僕は君が生きているのが嬉しくて、そう思った瞬間にすごく憎らしくなって、君がとても美しく見えたけれど、同時にひどく醜く見えた。バラバラにしたかったけれど、そのままにもしておきたかった。…だから、」
(SE:壁をこつこつ叩く音)
男「君にずっとここに居てほしかったんだ…テレビが見える、音楽が聴ける、僕の手作りの料理の匂いが分かる、そして僕がいつも座る場所の真後ろの、ここに」

店員『いらっしゃいませー』
男『あの、すみません。…コンクリートってどこにあります?』
店員『コンクリートですか、園芸用でしたらこちらに…』
男『ああ、ありがとうございます(微笑)』

男「ねぇ聞いて。君がいつだってここに居てくれるってそう思ったら、僕の気持ちはとても楽になったんだ。君はいつだって触られるのを嫌がったから気安く触れなかったけれど、こうやって撫でていると、壁越しに君に触れているみたいで、すごく暖かいんだ。…外が暑いから、あまり暖かいのは嫌だけれど」

女「貴方はそれで満足なの」
男「うん。でも毎日一緒にいられるだけ一緒に居るのに、君はいつだって素っ気無いね」
女「貴方なんて、どうでもいいんだもの。…音楽を止めて頂戴、煩わしいわ」
男「そうか、分かった」

(SE:電子音)
(SE・BGM:止まる)

女「私が壁の中に居ようと居まいと、貴方は何も変わらないわ(うんざりしたように」
男「変わるものなんてないよ、ずっと君が好きさ」
女「それがどれだけ可愛そうなことか、貴方わかってないわ」
男「希望を持って生きちゃいけないの?」
女「貴方に希望なんて言葉、安い甘えだわ。…色んな事は、刻一刻と変わっているの」
男「僕はそんなの嫌だ。変わりたくないんだ」
女「哀れでしかないわ」
男「僕を哀れんでくれる?」
女「きっと貴方の周囲の人は、貴方を哀れんでくれるわ」


男「君はきっとなんだって知っているんだろうね」
女「そうかしら」
男「だから1つ聞かせて欲しいんだ。君は今、生きているの、死んでいるの」
女「何故そんな事を気にするのかしら。普通はそんな分かりきったこと、人に尋ねないわ」
男「だって、生きていたら君は3ヶ月も壁の中に居ることになるし、死んでいたらなんでこんなにお喋りしてくれるのか、不思議だし。実はずっと気になっていたけれど、君と一緒に居られるならいいや、ってそう思って今まで放っておいたんだ」
女「…そうね、答えてあげる」

女「私は生きているわ、貴方が目をそむけ続ける限り。そんな条件の中でなら」


看護婦A「602号室の患者さん、まだ不安定ね」
看護師B「そうだね。覚醒しては、また眠っているようだ」
看護婦A「起きている間は、何かに常に怯えているみたい。…必死で起き上がって、壁にしがみつくんですって」
看護師B「ああ、聞いたよ。…何か、気味の悪いものでも見えているんじゃないかって皆噂しているね。…気味の悪いものってなんだよって話だけれどね。霊とか?」
看護婦A「…私は、…なんだか…」
看護師B「何?」
看護婦A「起きていること自体を、怖がっているように、そんな風に見えるわ」
看護師B「そうなのかい?」
看護婦A「ええ」
看護師B「…まぁ、どれが正解なんて言えないけれどね」
看護婦A「もちろん、そうね」
看護師B「そういえば、あの焼け跡の撤収作業、もうすぐ始まるってニュースで見たけれど」
看護婦A「酷い火事だったものね」
看護師B「負傷者の半分は、実はアパートの住民じゃなくて、救助隊の方らしいよ」
看護婦A「そうなの? 何で? …確か、平日の昼間の火事だったから、アパートに住んでた人の殆どは出かけていたって…」
看護師B「…(少し声を潜め、眉を寄せ)…ほら、例の患者さんがね」
看護婦A「602号室の?」
看護師B「そう。…燃える部屋の中で、自分は逃げたくないって暴れまくったんだって。…ひょっとして、様子がおかしいのって怪我のせいじゃなくて、元々だったんじゃ…」
看護婦A「ちょっと、なんて事言うの(むっとした様子」
看護師B「はは、ごめんごめん(ひらひらと手を振りながら」
看護婦A「にしても、あの患者さんがどうしても部屋から離れたくなかったワケ、って、なんだったのかしら」
看護師B「さぁ? なんかお宝でも隠してた、なぁーんて(笑いながら」
看護婦A「ちょっと、それじゃあ安直すぎない?(つられて苦笑」
看護師B「部屋を離れたくない一般的な理由なんてそれぐらいだよ。…まぁ、今日の撤収作業が楽しみだよね。…どんなお宝を隠してたのか、ってさ」





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